- 市民運動によって守り続けられてきた御射鹿池 -
池の取り入れ口、渋川の流水はpH2.0の強酸性ですが、この水が御射鹿池を経てふもとの水田地帯に到達する頃にはpH4.0にまで上がります。この値は稲作の最低基準にあたり、これによって山麓での米作りが維持されてきました。この効果は池の底全体を覆う天然記念物チャツボミ苔による中和作用によるものです。また、この池が強酸性のため、明るく澄んだ色調の水面に湖周の木々の葉っぱが数えられるくらいによく映る「鏡のような池」と言われるのも、この苔が鏡の裏塗りの役目を果たしているからです。御射鹿池は名画の原風景という文化的資産に加えて、このような神秘的な仕組みを持った池です。
しかし、この池の神秘と静寂の姿は、100年もの間、安穏に保たれてきたわけではありません。特に1960年代に始まるリゾート開発ブーム以降、池は何度となく存亡の危機に見舞われてきました。標高1600mの高地に広がる奥蓼科高原は諏訪地方のリゾート開発ブームの先駆けとも言える小田急電鉄のリゾート開発計画以降も、蓼科ビレッジや長谷工コーポレーションの開発計画、池の老朽化による改修工事計画など数度に及ぶ危機に直面しました。この中でも特に長谷工によるスキー場計画が実施されていたら、池の南側から遠望する一帯の尾根の木々はことごとく伐採され、スキーリフトの鉄柱が林立する光景に一変するところでした。また、池の改修工事では湖周の大半がコンクリートブロックで覆われてしまうところでした。
これらの危機は、その都度地元の心ある人々と、諏訪地方の市民運動によって回避されてきました。御射鹿池は40数年にわたって様々な景観破壊の危機を乗り越えてきた稀有な池なのです。そして今又、池は長谷工コーポレーションによる池畔での日帰り温泉施設建設という品位を疑う開発計画によって、景観破壊の危機にさらされているのです。
建設完成時のイメージ図

― 開発計画の問題点 ―
① 温泉施設
計画では、県道側に隣接した御射鹿池畔に大規模な温泉施設(建物の長さは池の東西より長い)
をつくることになっています。小高い位置に作られる施設の池側には露天風呂が設けられ、
ここからは池の全貌が見渡せ、池を訪れる人たちも露天風呂の客たちの視線にさらされることになります。
また、池面には温泉施設が映ります。静謐な雰囲気と景観は失われ、文化財としての価値も台無しになります。
また計画では、温泉施設の誘客を一日300人と見込んでいますが、雪と氷に閉ざされる秋から春の6ヶ月の間は
池を訪れる人は少ないでしょうし、茅野市街地から20㎞凍った急坂を押してそれほどの人が入浴に訪れるとは
考えられません。そのうえ、設計書の駐車場規模は20台分しかなく、経営計画も含めて
あまりにもずさんな計画というほかありません。
②渋川下流に水害の危険性を生む別荘地開発
御射鹿池北側から伸びる「一の坂尾根」には96戸の別荘地が造成されます。
これほど小規模の別荘地開発が経営的に成り立つのか?
リゾート経営のプロも首をかしげるような計画ですが、それにもまして懸念されるのは尾根の北側を流れる天竜川の源流である渋川の治水への影響です。一の坂尾根を含む奥蓼科高原全体は、世界有数の規模の火砕流堆積台地で、しかもその大地は更に古い時代の長倉礫層という厚い砂礫層の上に乗っている不安定な地質構造です。一の坂尾根は更にこの地域の中でも特に脆い地形と地質を持った尾根であり、高度100mを越す断崖と急斜面の上の尾根上は狭いところでは数メートルしかないという痩せ尾根のうえ、地質は空隙の多い集塊岩で構成され、
乾燥しやすい地質です。こんな脆い尾根を崩壊から守っているのは尾根全体を覆う樹林です。
尾根の北側を流れる諏訪地方最大河川の渋川は数キロメートルにわたって「横谷峡」と呼ばれる深い渓谷を形成し、車道を作ることが全くできない区域です。開発による尾根の変化によって、崖や急斜面から大量の土砂が渋川に崩れ落ちたら、その除去は容易ではなく、その間下流の住宅地は自然湖の形成による鉄砲水の脅威にさらされます。このような危険が予測される中、長谷工は十分な地質調査もしていないのに「尾根の地質は固い岩盤だから危険はない」と主張していますが、一の坂尾根の末端では今も崖の崩壊が進行中です。
尾根の地形改変は渋川の治水に大きな脅威を与えるものとして看過することはできません

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